我々が日常生活で目にする物質の性質は、その巨大な全体像のごく一部に過ぎません。 物質は、周囲の温度・圧力・磁場などの環境に応じて極めて多彩な物性を示します。 とりわけ日常的な環境からかけ離れた”極限環境”の世界では、物性が知り尽くされていると思われていた物質でさえも、想像を超えた知られざる一面を見せることがあります。 これは通常の環境においてまず安定化し得ない”風変わりな”状態が、極限環境の下では一転して最安定状態に取って代わる可能性があるためです。 このように我々の常識が通用しない極限環境の世界は、これまで知られていない新奇物性探索のための広大な未踏領域と言えます。
私は極限環境下における新しい物理や機能性を見出すことを目指して、極低温(~0.1 K)・高圧力(最大10 GPa)・強磁場(10 T以上)の下での精密物性測定技術の開発と、それを用いた物質の電子状態の研究を行っています。 極限環境下の物性を高精度かつ多角的に測定することは一般的な実験環境よりも格段に難しく、そのために得られる情報量も制限されます。 私はこの実験的困難を克服し、これまで不可能だった測定を可能とすべく測定技術の発展に取り組んでいます。 また研究においては、まず得られた実験結果を既知の理論的枠組みに基づいて考察し、可能な限り定量的・徹底的に説明することを重要視しています。 たいていの実験では極めて多くの現象が複雑に絡み合った結果を見ることになります。 これらの絡まり合った現象をひとつづつ丁寧にほどき、それでもなお説明できずに残った現象にこそ、真に新しい物理が存在するものと信じます。
磁気秩序が消失する量子臨界点付近で興味深い非従来型超伝導が発現することは、 高温超伝導体や重い電子系などを舞台とした多くの研究例に見ることができます。 一方で超伝導と電荷秩序の関係性を系統的に研究した例は少なく、未解明の点が多く残されています。 我々はこれまでにLaAgSb2が電荷密度波(CDW)臨界圧力近傍における新奇物性を系統的に探索し得る舞台であることを示しましたが、 さらに今回我々はLaAgSb2が常圧で転移温度Tc = 0.3 Kの超伝導体であることを初めて発見しました。 希釈冷凍機温度域での圧力下電気抵抗測定により、TcはちょうどCDWの臨界圧力において鋭いピークをとり、超伝導とCDWの顕著な相関を観測しました。 臨界圧力から離れるとTcは急激に抑制されることから、臨界圧力近傍のみで何らかの超伝導増強機構が働いていることを示す結果と考えられます。 この振る舞いをより深く理解するために、最も基本的な超伝導機構であるフォノン媒介機構を仮定した場合にどの程度のTcが期待できるかを、第一原理計算に基づく電子格子結合計算によって精査しました。 その結果、計算によって得られる電子格子結合強度は小さく、理論的Tcも数mKのオーダーであることが分かりました。 したがって実験で観測された1 KオーダーのTcは上述の枠組みだけでは説明できず、CDWの崩壊に関連する非自明な機構の存在を示唆しています。 また比較的大きな電子格子結合をもつキャリアは、正方格子を構成するSb原子のpx, py軌道からなる2次元的Fermi面に偏在していることも明らかにしました。 このことはSb正方格子がこの物質におけるCDWの形成・極めて易動度の高いキャリアの起源のみならず、超伝導においても重要な役割を担っていることを示しています。
加えて我々は同一結晶構造をもつLaCuSb2にも着目しました。 LaCuSb2はLaAgSb2と異なり、常圧でCDW転移を示す異常は観測されません。 またこの物質は、(先行研究によってその存否に関する見解が異なっていたものの)常圧でTc = 1 Kの超伝導体であるとの報告がなされていました。 我々は、LaCuSb2の単位胞体積がLaAgSb2よりも有意に小さいことから、常圧で既にCDWの臨界点近傍に位置した物質とみなせるのではないかという期待のもと、その電子状態と超伝導特性を精査しました。 我々は電気抵抗・磁化・比熱の測定より、LaCuSb2がバルクの超伝導体であることを確立しました。 また理論計算を援用して磁場中輸送現象を解析し、そのFermi面を確定しました。 実験的に決定したFermi面に基づき電子格子相互作用の理論計算を行った結果、 (1)低周波数フォノンバンドが比較的大きな電子格子結合を持つこと、 (2)フォノンと強く相互作用するキャリアがFermi面全体にわたって存在すること を明らかにしました。(1)はLaAgSb2には見られなかった特徴であり、(2)は比較的大きな電子格子結合をもつキャリアが特定のFermi面に偏在していたLaAgSb2の場合とは対照的です。 計算で得られるTcは実験値を良く再現することから、我々はLaCuSb2は典型的なフォノン媒介型超伝導体であると結論付けました。 LaAgSb2に比べて高いTcをもつ理由は上述の(1)、(2)で説明でき、CDWの臨界に関連する現象はこの物質では見えていないものと考えられます。
LaAgSb2は常圧でTCDW1 = 210 KとTCDW2 = 190 Kにおいて逐次的電荷密度波(CDW)転移を示すことが知られています。 我々はLaAgSb2におけるCDWの温度・圧力相図を実験的に解明し、CDW1およびCDW2の臨界圧力がそれぞれPCDW1 = 3.2 GPaおよびPCDW2 = 1.7 GPaにあることを明らかにしました。 またPCDW1およびPCDW2を境にShubnikov-de Haas振動のパターンは明確な変化を示し、CDWの消失に伴うFermi面の変化を直接的に観測することに成功しました。 CDWの存在しないPCDW1以上の圧力領域では、高易動度・高伝導度の金属状態が実現していることも明らかにしました。
さらに我々はインデンター型圧力セルの磁場中回転機構を開発し、最大圧力4 GPa・最低温度1.6 Kの下で輸送特性の磁場方向依存性の測定を可能としました。これを用いることで圧力下におけるFermi面の形状および磁気抵抗の異方性を明らかにしました。 これらの実験結果と圧力下で予想されるFermi面に基づく電気伝導度の数値計算結果を比較することで、 常圧ではCDWギャップで隠されていたSb正方格子由来の異方的DiracバンドがPCDW1を境に出現し、それ以上の圧力領域では輸送特性に支配的寄与をもたらしていることを示しました。